集まれ!少年拳士

少林寺拳法 札幌葵道院



少林寺拳法は1947年、日本において宗道臣が創始した、教え・技法・教育システムによって、自信と勇気と行動力と慈悲心を持った社会で役立つ人を育てる"人づくりの行"です。
一人ひとりがまず頼りにできる自己を擁立し、人間同士が援け合い、共に幸せに生きるための道を説いています。

少林寺拳法は、体と心、そのどちらにも偏ることなく、ともに高め合うことを目指します。
肉体だけを鍛えるのではなく、理屈や精神論だけを唱えるものでもありません。
少林寺拳法は、強くしなやかな体と心をつくる修行です。

少林寺拳法は、きびしさとやさしさを身につけ、それを行動原理として生きることを目指します。
愛をともなわない力は暴力であり、力や行動をともなわない愛もまた無力です。
力と愛の調和のないところに正しい生き方は育ちません。
少林寺拳法は「教え」の道です。


少林寺拳法は、社会生活になくてはならない礼を身につけます。
人間同士が認め合い、尊重し合い、互いに援け合って平和で豊かな社会をつくること。
それが"人づくり"を目的とする少林寺拳法の願いです。



●単なる武道やスポーツではない

少林寺拳法は単なる武道やスポーツではなく、宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承する宗門の行である。単なる
スポーツとの相違を考えてみれば、スポーツはルールが伴う勝負が中心であり、ルールを重んじるフェアプレイ
の精神が強調されるが、現実には勝つことが目的であるため、勝つためには手段を選ばぬことになりがちである。
又、武道の現状を見ても、その多くが普及促進のためにスポーツ化されているといえよう。
しかし、真の武道においては、相手が無法非道の者に限られるためルールを伴う試合は考えられず、従って試合
をしても必勝よりも不敗の態勢をとることが、スポーツとの決定的な違いなのである。

●守主攻従

少林寺拳法は「守主攻従」という原則に貫かれている。これは宗門の行であり、破邪の拳であるが故に自分から
先に手を出さぬという仏弟子の心構えである。もっとも単に守りに終始するのではなく、強烈な反撃を伴うこと
によって守が生きる「守即攻」をいうのである。

●組手主体

少林寺拳法が宗門の行である最大のポイントは「組手主体=相対演練主体」というところにある。勝ち負けを争
う試合がないので、試練も、技の正確さ、巧拙等が採点されて決められるが、組手主体であるため、相手が下手
では自分も落第してしまう。従って相手を大切にする習慣が育ち、協調性のある人柄が養われる。又、技術の面
からみても、動いている相手に対する攻防の間合いとか虚実といった種々の条件が必要で、それらは単独では会
得できないものである。

●剛・柔・整三法一体

少林寺拳法の技は、完全な剛柔一体である。
もともと剛柔二法は本質的には別個のものであるが、天地陰陽と同じく、別々に存在したのでは意味がない。た
とえば、相手が打ちかかってきたら、受け・かわしなどの剛法攻防があり、手や襟、袖をつかんでの攻撃には、
守法から抜きや投げ等に変化する柔法……というように、相手の出方や攻撃の種類や質に応じて自在に対処でい
るからである。又、少林寺拳法には、健康の保持と増進のためのすぐれた法術として、経脈の理にもとづく整法
が伝えられており、剛・柔・整三法一体として重用されている。

●一拳多生の活人拳

真の武道は、技を通じて心を磨く道であり、人間完成の手段でなければならない。そのため、少林寺拳法では一
拳必殺という言葉は使わない。一拳多生であり、不殺活人である。身を護り正義を貫くために戦うとしても、相
手を傷つけることなく、完全に戦意を失わせ、相手の暴をくじくことによって相手にその非を悔いさせ、正道に
おもむかせる効果的な法術なのである。



※ You Tubeより少林寺拳法を紹介している動画をご案内します。




森道基大範士の歴史

1959(昭34)年10月、森道基によって、神戸道院は設立された。兵庫県下では、56年5月に設立された尼崎道院に次ぐふるい歴史と伝統を誇っている。また、道院長・支部長の輩出数は全国有数である。
森は52年に香川県の坂出道院(当時)に入門したが、まもなく本部道院に転籍し、助教を努め、開祖と寝食をともにした。やがて「ほかの地方に少林寺拳法を広めたい」と考えるようになり。、57年に神戸市に移り、同門の今井明雄(現在明石道院長)が「道場を設立してほしい」と、茸合警察署(当時)裏のめぐみ愛児園を借りたのを機に、練習を開始したのだった。森は、その後、芦屋道院、神戸六甲道院を設立したほか神戸商科大学、神戸大学、松蔭女学院、八代学院高等学校(現神戸国際大学付属高等学校)での少林寺拳法部創部を指導するなど。、精力的に活動した。
同道院は63年の(社)日本少林寺拳法連盟の設立を機に、同所属の支部としても登録。69年には、本部の指導により、神戸中央道院に名称変更した。そして、82年、幹部拳士の中林秀明が二代目道院長に就任し、86年に神戸兵庫道院に名称を変え、現在に至っている。この名称変更の理由について中林は、「神戸中央道院は、森先生によって設立され、心血を注いで運営してこられた道院です。特に『中央』という名称は、その重みと栄光の歴史を物語っており、森先生の記録でもあります。ですから当然、返上しなければならないと思ったのです」と語っている。中林の、師に対する細やかな心配りが感じ取れるエピソードである。

「少林寺拳法50年史」より


上田大範士の歴史

香川県香川郡直島町。瀬戸内海に浮かぶ大小二十七の島々からなるこの町に、1955(昭30)年、少林寺拳法が根を下ろした。
当時、島では「怖いものなし」と言われた中野博造(初代支部長、故人)を師匠とする空手一門・18人の若者が幅をきかせていた。彼らは新聞に掲載された開祖の記事を見て、「よし、腕試しじゃ。道場破りにいってみよう」と、勇んで汽車に乗り込んだ。多度津に着き、道場を訪ねてみたが、見たところそう大きくはない。出てきた拳士も自分たちと同じ年格好の青年たち。「これは大したことはない」と思った中野らは、思い切り突きを入れ始めた。しなしなんということか、まったく歯が立たない。それどころか、どんな技をかけてもすぐ床にぶちつけられた。度肝を抜かれた彼らはつくづく「これしかない」と実感。その後、中野らが再び多度津に出向き、開祖に18人を入門させてくれるよう頼んだ。同年9月3日、特別な計らいで、「(本部直轄)直島支部」が誕生した。
開祖と支部の交流は深く、春になれば花見に行き、夏には海水浴に出かけた。一期生の18人とも昇段は早く、入門後非常に短い期間で全員三段を取得。しかしその後、中野が転勤となり、57年1月、中野の一番弟子・町川秀男が二代目支部長になった。
その後、58年11月1日、町川の転勤に伴い、隻腕の拳士・上田清が引き継いだ。同時に、組織変更をおこない道院を設立。その後、(社)日本少林寺拳法連盟所属の支部としても登録した。
開祖の心の広さ、優しさを知り、言葉では言い尽くせない恩を受けたという上田は、その恩返しのために、宗由貴会長を支えていくことが使命であると考える。「体力の続く限り、協力、貢献していきたい。そのためには、何よりも良い人間を育てること」そのたゆみない努力と栄誉をたたえ、93年1月、日本武道協議会から日本武道功労賞が授与された。少林寺拳法連盟では12人目にあたる受賞である。

「少林寺拳法50年史」より



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