集まれ!少年拳士



少林寺拳法札幌葵道院 設立について

 1985(昭和60)年、札幌芝道院出身で札幌医大少林寺拳法部の監督だった菅原通有が、医大生の練習場所として、自宅に道場を開き、道院として認証を得、同時に(社)日本少林寺拳法連盟所属の支部も設立した。医大生7、8人と近所の人が約30人集まり練習をスタート。札幌芝道院から転籍した澤谷信康副道院長のほか、当初は田中宏志、小畠昌規ら医大の歴代主将も菅原を補佐し、指導にあたった。
 練習は月、木、金曜日(金曜日は澄川道場のみ)。専有道場なので午後11時くらいまで残って修行に励んでいる。合宿は毎年8月初旬に一泊二日で実施。赤井川村の小、中学校を借りきっておこなうことが多い。
菅原は「来て楽しい道場づくり」を目指し、各拳士の能力に合わせた指導を心がけている。また、一度やめた拳士がいつでも戻ってこられるよう、気軽に声をかけているという。


「少林寺拳法50年史」より



スポーツチャンバラ葵道場葵心館 設立について

 今でも鮮明に覚えております。1995年6月の頃、いつもの様に新聞を読んでいた時、スポーツチャンバラの記事が、ほんの少しだけ記載されてました。実はその数年前にテレビの二ユースで、スポチャンを見て知っており、その斬新さに深く心に残っていたのですが、何処で誰が行なっているのか全く解りませんでした。その後もスポチャンに関する報道が北海道ではなく知る事が出来ませんでした。たまたま、その新聞が関東系列のスポーツ新聞で本部の電話番号が載っており、直ぐその場で連絡したところ、事務局の小林さんから説明を受けました。その後今日は田邊会長が居ますので、電話変わりますとの事で、田邊会長のお話しを聞くうちに、「嗚呼これだ! 今、自分自身が、もう一度修行したいのは・・・」と感じ、直ぐ修業をしたい旨を話しました。すると田邊会長は、来週はフランスヘ教えに行くので、日本にはいないとの事、自分は「直ぐに明日行きます!」と返事をし飛行機を手配しました。
そしてその後、何度も何度も横浜の本部ヘ出向き、直接田邊会長に教えを頂きました。 札幌に帰ると直ぐ、古くからの友人である、中山康博氏にスポーツチャンバラの素晴らしさを伝えて「札幌市に協会を設立するので力を貸して欲しい」と話しをしました。その後同門の天野雅行氏(現副会長)また同じ札幌市中央体育館指導員仲間の下野謹也氏(北海道フェンシング協会理事長)にもお願いし、1995年6月田邊晢人会長との運命的出会いにより、札幌市スポーツチャンバラ協会を設立いたしました。
また、すぐその年の10月29日に「第1回 札幌市スポーツチャンバラ選手権大会」をNTT札幌体育館にて開催し、それから2年後の1997年7月6日には、「第1回札幌市少年少女スポーツチャンバラ選手権大会」を札幌市中央体育館にて行ないその後、現在においても毎年開催しています。













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